ブダペスト Sziget festival

「ワン◆ピース」2004年から世界各地で上演し続け今年はハンガリーブダペストのSziget スィゲットフェスティバルへ。呼ばれた最大の理由は、初演から使ってる使用曲の一つがハンガリーのフォーク音楽だから。

 

欧州最大の音楽フェスで昼から翌朝まで爆音が響きます。敷地内には沢山のステージ。何万人収容の巨大ステージから小さな人形劇まで。世界中の人々が集まっていて何百ものテント。テントはフランス、イタリア、ドイツ、イギリスなど、まるで国境のように国別でエリアが分かれていて、それ以外は自由エリア。ハンガリー国内の観客より外国からくる観客が多い。外国人だらけなので「ワン◆ピース」でハンガリーのフォーク音楽を使ってる、ということには誰も気づかなかったかもしれません。


サーカスやダンスなどそこら中で様々な出来事がひっきりなしに続く。屋台も世界中のローカルフード。広大な島全体が信じられない人混みと土埃の中、セキュリティは厳重で、アーティストは完全に守られている。部外者が紛れる事はほぼ出来ない管理には驚いた。

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夏フェスのノリで観る人、真剣に観る人、多様な観客でさぞかし踊りにくいだろう、と思ったけれど、五人の出演ダンサー達は美しく楽しんで踊った。この作品は肉体と道具を酷使するので、ダンサーには作業ストレスが多く、肉体も精神もギリギリ。しかも今年のヨーロッパの暑さは尋常ではなく、リハーサルは毎日熱中症で死にそうに。毎夜温泉に繰り出して復活していました。2004年に若い二十代のカンパニーダンサーのために作ったこのレパートリー。完全に抽象化してるが、日本社会に対しても世界にも皮肉を散りばめた作品で、15年前作った時と今と、そのメッセージは一つも変わらず発信できる社会に溜息が出ていく場所もなく。

 

巨大フェスのクルー達は皆巨大でものすごい重たい大道具を軽々と運んでくれました。

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フェスが終わるとブダペストには秋がやって来た。昨日までビキニの人も今日は革ジャン。f:id:yaun:20190815165741j:image
 

 

プレリュード

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今月はプレリュード月間。まずは学園坂スタジオで24のプレリュードのリハーサル。港大尋さんとはつい先日ゴールデンウィークに「ストレンジシード静岡」でセッションを行ったばかり。その時はドラム演奏だった港さん、セネガルの大統領で詩人でもあったレオポール・セダール・サンゴール氏の詩「仮面に捧げる祈り」を掛け合いにした短いパフォーマンス。静岡市役所前。屋根のある場所であったとはいえ、靴を履いていたとはいえ、野外は野外。たくさんの雑音や雑景色が飛び込む中で、関節にこたえる短距離走のような時間。私の心肺機能がもっと丈夫だったらもっともっと踊りたかった。衣装はwrittenafterwardsのコレクションから。山縣さんのデザインは風景をデザインしていく。爽やかな風を含んでくれる服の力。たくさんの投げ銭もいただいて。たくさんのものに支えられた。

 

港さんが2016年にリリースした24のプレリュードから13曲を選曲。ポリリズム。耳触りが良いけど良く聴くとトリッキーだったり、祈りのようだったり。楽譜をみながら実際の演奏や踊りでは可視化聴覚化していないところ、見えない部分をシェアしていくのはストリートでのライヴとは違った喜びがある。さらにクラシックからジャズからアフリカンミュージックなどなど様々な音楽の雑話を混ぜての稽古時間。同い年だけにその時代時代で共感したことも近いからなのか、話は尽きない。今来日中のローザスの音源であるコルトレーンの話なども。昔は音楽と出会うことは今よりも面倒で大変だったはずなのに、若い頃雪崩のように音楽と出会った。近所のレコード屋もレンタル屋も一掃するようなくらいの勢いで「こんな小さな国の小さな町の小さな店の中で知らない音楽があるのはまずい」と危機感を持って片っ端から音楽を聴いた。あの行動と衝動は何だったのか分からないが、あの頃の蓄積が私の頭にぎっしりある。港さんいわく縦横無尽に音楽の話ができるのは人類学みたいなところへの興味に結びついているらしいけど。5月18日(土)15時〜学園坂スタジオで、残席わずかです。


カンパニー新作の「プレリュード」。ここから一ヶ月くらいかけて一つ一つの動きを徹底的に練習したいし、音楽と動きの接点も突き詰めたいし、ダンサー一人一人とやりとりを深めたいところですが、本番日はまもなくに迫ります。この作品は今年いっぱいかけて、松本、仙台、岩手、へとツアーを予定。ダンサーと共に成長をしていきたい作品ですが、まずは初演。初演には初演の良さがありありがたさがあります。ワーグナーのオペラのプレリュードをはじめ、ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」などよく知られた名曲と言われるプレリュード(前奏曲)をいくつか使用します。その中で多くを占めるのはロシアのピアニスト兼作曲家によるピアノ曲ラフマニノフスクリャービンカプースチン、レーラアウエルバッハ、ヴィシネグラツキー、独特のきらめき、響きが際立っていることで、日本人の踊り手との相性を作ります。私達ダンサーが頑張って光らなくても光ること、柔らかな現れ方ができると信じて。5月24日(金)〜26(日) 世田谷パブリックシアターにて。

https://setagaya-pt.jp/performances/prelude201905.html

 

それにしても何て爽やかな季節なのでしょう。私の体は紫外線も日光も受け付けない。ドラキュラとしてはこの昼間の明るさは明る過ぎて活動できない明るさです。

終活

33年の友情。その中の壮絶な三年半のMとの日々が終わった。何者かが息を引き取りにやってきたのを生まれて初めてみて、その後、何呼吸かした後に、Mの呼吸は繰り返されなくなった。最期の最期まで、手をとり、ダンスを踊るように一緒のリズムで呼吸をした。

 

「人生でやり残してることない?やりたいこと、行きたいところとか?」余命宣告をされ、淡々といつも通り会社に通っていたMに聞いた。「残りの人生何が大事か考えたの。それは世界一周することとか、のんびり休暇を取ることとか、そういう特別なことじゃない。このまま日常が壊れないで、できるだけこのまま普通に続くこと、その中に私が当たり前にいること、それが私の人生で最高なこと。だからお願いだから私の病気のことは絶対に言わないで。この病気のことを知ったらみんな悲しむでしょ。困るでしょ。なんて言っていいか、私とどう付き合っていいかわからないでしょ。困らせたくない。だから周りはこのまま一切知らないのがベスト。それから、私だって周りの人に同情されて、気遣いされて、特別扱いされる関係になっちゃうより、今までどおりの関係で、腹が立ったり、文句言ったり言われたり喧嘩したりして、ストレスのある日常がいい。あと、もし会社やめちゃったら、病気とだけ向き合うことになるじゃない。それは辛い。病気とだけ向き合いってたら気が滅入っちゃうわ。それより病気どころじゃないこの大変な忙しい生活が幸せ。会社に行って疲れて、ストレスばっかりで、悔しいとか、うまくいかないとか、ごちゃごちゃ面倒くさい日常が'特別な何か'よりも一番素晴らしい!」

 

私と家族だけが彼女の秘密を知り、私は彼女の壮絶な生活や気持ちに振り回されることに同意し、とことん振り回してほしいと願った。仕事も遊びも全力疾走。寿命が縮んでいく日々をバレずに全うする、完全犯罪みたいな終活大作戦を並走する人が一人くらいいてもいいんじゃないか、そんな友情の日々を全うしようよ、と私も彼女も子供みたいに思った。「ね、だからしょうちゃん、わがままきいて!最後にたくさん思い出を作ろうね!」転校していく少女のような顔をして私によく言った。

 

とは言っても彼女を支えるなんてとんでも無理なことで、完全に潰されてしまうほどの壮絶な重さ惨さがあった。あまりにもの重さに私の行動も言動も空回りし、時に彼女にとってありがた迷惑だったこともあるだろう。自分の事など全く手につかない日ばかりだった。生活よりも彼女との日々を優先した。踊りをどっかに置き去りにした日も、手につかないことも。大親友の余命に寄り添うことは私にとって大仕事で意味がわからないけど意味があった。一挙手一投足、一言一言に悩み、何も言えないから、ひとまず適当に浅いことを言ったりした。一時だって心配が頭から抜けたことはなかったからまるで何も気にしてないように見せかけたりした。三年半ずっとただ生きてることやご飯を食べて歩けることに感謝していた。Mのために私が風邪をひいてはいけないと思った。「お願いがあるんだけど」とMが甘えると願いをききいれた。Mは甘えたくて甘えたのだろうか。今思えば、Mは甘えたかったのではなくて、私に気を使って甘えたのかもしれない。甘えることが大嫌いなMだったから。甘えれば私がホッとすると思ったかもしれない。いろんな小さな可愛らしいわがままを言ってくれた。馬鹿な話も命の話も人生の話も仕事の話もいろいろな話をしながら、よく悩み、よく泣いた。彼女が泣くと私も泣いた。そうして一緒にデトックスして、少しでもお互いの気が紛れるのは最高だった。

 

闘病してる人とそれを支える方にはどちらにも我慢があり、どちらにも共有できない迷いも悩みもあり。でも寄り添うように一歩一歩、Mが歩けなくなるまで、そして歩けなくなっても、立てなくなっても、寝返りが打てなくなっても、喋れなくなっても、息をして、息をしなくなるその時まで、そして息をしなくなった今もなお、私はMと一緒にいる。電気がパチパチ点いたり消えたりするし、物が割れたり壊れたりする。頭が痛くて耳元でずっと音がしている。オカルトではなくて何かそばにいるのを感じるし、時にまるでMそのもののような気分になる。ドライアイの目薬をささなくていいくらい目が濡れている。泣きじゃくって寝て、目が覚めて泣きじゃくる。まるで赤ちゃん。泣いて泣いて赤ちゃんになってここから新しい人生が始まればいいのに。

 

ある日「それでも死ぬ前にやりたいことってないの?」と聞くと「そうね」とMは少し考えてしばらく黙って、そして「踊りたい、、かな」と言った。「え!?歌いたい!じゃなくて?踊りたい?体動かすの嫌いじゃん!」と言ったら「そうね、でも私、踊りたい!」と言った。私は「じゃ、今度一緒に踊ろうよ」なんて喜んだ。今思えばMは踊りたかったわけじゃない。私が喜ぶと思ってそう言ったのだ。でも本気で絶対踊りたいに違いない!と思いこんだ。そして結局今はどちらでもいい。本当に踊りたくて「踊りたい」と言ったとしても、私を喜ばせようと思って「踊りたい」と言ったとしても、私がその言葉を聞いて天に昇るほど嬉しかったわけで、とてつもなく喜んだわけで、だから、それは幸せな出来事。最期は手を取り合って息を合わせて私たちは踊っているような時間だった。結果はどうであれその時間は大大大満足だった。その大大大満足の、何倍も何十倍も何百倍も今悲しい。そして悔しい。余命宣告されたって覚悟はできなかった。できなかったというより、覚悟という腹の場所に導かれなかった。Mも私も。なぜか。それは、呼吸は無意識に運ばれてくるから。波のように次の呼吸、次の呼吸がやってくるから。その呼吸がやってくる事は海を見るみたいな希望の予兆だった。定めることよりゆりかごのようにスウィングする方が気持ちよかった。若くして死を目の前にしてる人に哲学は役に立たず、寄り添うという事以外正解はない。

 

友情、愛、信頼、迷い、嘘、本音、たくさんの気持ちと理屈と諦めと辛抱の角を曲がって曲がって迷って三年半のながいみちのりを歩いた。転ばないようにしながら、転ぶより痛い目にたくさんあった。私はうまくいかないことばかりだった。Mの治療は尽くされた。限界にきて弱っていった。それからも逞しかった。どんな姿になっても清らかだった。何が今一番大切か、明晰だった。独りで、ストイックで、底抜けに心優しい、それは魅力で、凶器だった。喪失感と後悔ばかり。それら全部を含めたこの三年半は私の人生の最大級の絶望と宝箱。

 

人間の体に起こるあれほど壮絶なガンがあるなんて知らなかった。私が誰かに説明しても、絶対に信じてもらえないほどの、それほど信じられない状態の、恐ろしいタイプ。体のことを知ってるつもりでいたけど、何もわかっていなかった。生と死の境目のことも。生そのものも、死そのものも、境目というものも、わかっていなかった。それらは全部まるで差がない「渦中」だった。私はそれらの区別を感じることも、定義することも、できない。その中にどっぷりいる時、どんなに辛くても迷っても馬鹿げていても、死んでいても生きていても、時が進んでいること、そのことが美味しい果実、とわかるだけ。それだけ。ただそれだけの場所で精一杯がある、ということ。

 

葬儀では想像を超えるとてつもなく大勢の人に会った。大学時代の親友、会社の同僚、部下、上司、社長、驚くほどのたくさんの人に会って、Mがどれほど素晴らしく優秀な人だったか、愛されていたか知った。Mを語る言葉は様々だが、私の知っているM以上の格好いい姿がそこにあった。家族の前のMと会社の人が語るMと私と一緒にいたMは同じ人だが同じMなのだろうか。楽しい思い出の中のM、闘病生活でのM、骨になったM、すべて同じMなのだろうか。私の人生の登場人物で一番目に出てくる主役級の大親友M、長年、そして最後の一呼吸まで一緒にいたのに全然繋がらない。生きていた時も、死んでしまってからも、教えられることばかり。答えのない問いも生まれるばかり。それはあなたが一番教えてほしかったこと、大声で問いたかったことかもしれない。

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私達の最後の旅行の最後の日。ハワイで一緒に見た完璧な夕陽。

覚える言葉失う言葉

立春の匂い。太陽の時間が長くなった。まつもと演劇工場の受講生と「戯曲を覚える」という脳トレのようなことを一緒にやった。誰かが覚えたセリフと自分の覚えたセリフは全く同じページなのに、その誰かがそのセリフを話すと、まるで自分で覚えたセリフとは違うから驚きだ。全然違う内容のセリフに聞こえるのだ。どうやってセリフをインプットしたか、どうやってアウトプットしてるか、で違うのか、それとももっと違う理由で違うのか。このワークの中で「言葉を思い出すことのできなくなった」大親友のことを思い出していた。

彼女はモルヒネ投与により、ものすごい勢いで毎日あれよあれよといううちに言葉を話すことができなくなった。はじまりは二ヶ月前の事だった。頭の中で言葉を思い出すことができなくなり始めた時にはとても苦しそうだった。悔しそうに、もどかしそうに、眉間にしわをよせていた。そしてあっという間に言葉を思い出すこと、話すことができなくなっていっただけでなく、読むことも、書くこともできなくなった。話していることを理解することはできるが頭の中で言葉を作ることと文字を失った。毎日少しずつというよりは消えるように、あっという間に、滑り台を降りるように、言葉を失っていった。どんどん顔が変わって、今は言葉を思い出そうとすることもなくなった。失ったものを思い出す、という機能も失った。彼女はもう会話をすることができないけれど、自分の身に何が起こっているか、その全てを頭で理解している。モルヒネでぼーっとしてるのか、呆然とぼーっとしているのかわからない。

「いきのね」の稽古時間以外病院で会話のない時間を過ごしながら、なぜか私は心が洗われていた。彼女から聞こえる声は痛みによる絶叫だけの日もあった。稽古場は私がどこよりも大好きな場所だが、今回の「いきのね」はしんどかった。病院はどこよりも嫌いな場所だが彼女のそばにいると気持ちが安らいだ。無言。本当にそばにいるだけ。見つめあって微笑むだけだが、肉体、死、生、がしっかりと手をつなぎ、目の前に横たわっている聖なる時間。

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「いきのね」にはイスラエル大親友ニブにリハーサルダイレクターに来てもらった。2年以上前、カンパニー「ワン◆ピース」のリハーサルに来てくれた。その時45分ほどカンパニーメンバー皆と一緒にアップをしただけで、全員の課題を指摘してくれた。「いきのね」の再演には絶対にきてもらおうと決めた。昨年は「いきのね」に先駆け、カンパニーでどのようなボディワークやエクササイズをしたらよいだろうか、というワークをオーストラリアで一緒に考えた。「いきのね」ではニブ初日のリハ後即電話がきた。16名それぞれの課題を指摘し分析してくれた。あまりにも図星で驚いてしまった(どんなアルバイトをしてるかも当ててしまうほど)。私もニブも体も心もズタズタボロボロ罪深く体弱いという様々な秘密で繋がっている。恋人でも家族でもなく大親友であり、時折なにも話さなくてもわかってしまう。会話と会話の間、言葉が聞こえてきてしまう時がある。帰国の日、早朝ニブを駅のホームで見送った。私達は何一つ言葉が出てこなかった。微笑むのが精一杯だった。

翌日再び病院の帰り道。大親友の母親に「唯一の大親友を失ったら、私、どうしたらいいのかわからないわ」と言うと「大親友なんて失ったって平気よ。またできるから」と言った。

 

 

 

いきのねと花祭

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「いきのね」改訂版の再演まであと2週間。リサーチを始めた2015年から足掛け4年とはいえ上演したのはこれまでたったの一回ぽっきりの「いきのね」。先日稽古を見に来たメルボルンダンスハウスのディレクターのアンジェラが「一体どれだけの時間を費やしたのか?上演回数が1回しかない!?」と、空白と密度に驚いていた。花祭の「月地区」「古戸地区」東京花祭など足を運び、舞いを習い、花祭のない時期にも奥三河に足を運んだ。なぜ花祭なのか、なぜいきのねなのか、なぜこのクリエイションが生まれたのか、という理由は一つじゃない。クリエイションの種はいつも一つじゃない。

郷土芸能を私が調べ始め日本全国の踊りを見て回ったのはもう二十年以上前のこと。野宿や役所の人の家に泊めてもらってあちこちの踊りを見た。踊りなどの芸能と生活が結びついていることを昔から知っていたのは、母の家が山の麓の米農家だったからかもしれない。農家の暮らしの中には読書する時間などないが、全ジャンルの本を読むのと同じくらいの学びがある。芸術哲学文学数学全てが苦労とともにある。踊りもある。

花祭は人々の願かけ祭り。とはいえ願かけだけではない精神世界が宿っていることを、花祭を訪れた瞬間に感じることができる。公民館の土間空間は「舞庭」(まいど)と呼ばれ、センターにかまど。周りにある五本の柱から五色の神道が、かまどの上の湯蓋につながっている。湯気で揺れる五色。これは陰陽道からきた陰陽五行説によるもの。五色は五方向を示している。東は青、西に白、南に赤、北に黒(紫や紺)、中央は黄色。相撲にも同じ配置を見ることができるが、相撲では中央の黄色を土俵の荒木田土の色が受け持っている。

昔私たちの祖先は太陽の力の弱い冬は精霊が地面に沈んでしまうと考えていた。だから鬼や舞手は地面を踏んで踏んで精霊の復活を祈った。これもまた陰陽道の歩行呪術の一つ。私たちカンパニーの踊りも、ひたすら地面を踏むことで踊りを立ち上げている。

冬は山や森がじっとエネルギーを内に込める。木々も地面も精霊が沈みこむというよりもむしろたくさん宿る。春という生命爆発前の準備。冬の森にはエネルギーがぎっしりと溜まっていて、精霊がどこにいるかがすぐわかる。願かけ祭りをやるにふさわしい。精霊に語りかける祭りは徐々に私たちの清らかな生活を願う祭りへと変化し、人々の様々な願いを叶えよう、家内安全、村内安全を願う祭りへと変わっていった。精霊が宿るのは今や地面だけではない。人と人の間、仕事や社会というものが私たちの「地面」となり、精霊が宿る場ともいえる。しかし欲にまみれた忙しい私たちの生活の中には精霊が宿る時間も空間もない。精霊が宿らないということはどういうことなのか、踊り手にはわかる。わからない人は踊っていないと。身につけているもの、身の回りにあるもの、人、着ているもの、精霊が宿るものとはなにか。踊り手の身体の間に、踊り手と踊り手の間に、踊り手と観客の間に、「花祭」と私たちの間に、精霊が宿りますように、と、容れ物として「いきのね」がある。

改訂版の稽古がすすむにつれ、音楽も衣装もアップデートが凄まじい。ダンサーたちの取り組みもすべて。「いや、そこまでこだわったら大変だから、、」と思うと同時に、こだわらなきゃ罪と思ったりもする。いよいよ大詰めのお祭り。

 

介護記

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壮絶な日々。「いきのね」のリハーサルの合間の介護。介護?介抱?世話?なにかよくわからないが、毎日できるかぎり張り付いている。

人から世話されるばかりの人生だが、ようやく私にも人の世話ができるチャンス到来で、張り切っているのだが、世話に慣れていないので失敗ばかりである。ご飯を食べさせると必ずボトボトこぼしてパジャマをよごしてしまう。汚れたパジャマを着替えさせてあげようと途中で失敗して痛い目に合わせてしまう、トイレの世話も抱きかかえるのもほぼ失敗。呆れて大笑いされるか大激怒される。もう喋ることができないので感情をあらわにできるのは顔だけだ。顔が動くとホッとする。笑顔じゃなくてもホッとする。しかし進行性のガンはものすごい勢力で体を喰っていく。背中をさすりながら私の手は彼女の体が喰われていくことをはっきり感じる。掌と鼻の奥に焼き付いて24時間離れない。

初演「いきのね」の時、彼女に「いきのね」というタイトルなんだと言ったら「やだ、そんなタイトルやめてよ。もっと楽しいのにしてよ」と返された。「息の根」ではありません「粋の音」です、といったっていきのねはいきのね。無病息災、悪魔祓い、五穀豊穣を祈願した「花祭」のみならず日本各地のお祭りや儀礼、芸能の何か根源的なものをダンス作品化した。日本の文化の根源に近づけば近くほどこの国は大陸ではなく孤島であること、ゆえに敵はいつも見えていない、というところへ辿り着く。私達は昔からよその国の人のことも病魔も見えていなくて風や空気ばかり見えている。いきのねとともにあちこちの病魔がふっとべばいいのにと心の底から、腹の底から、足裏を通って地面の底から祈っている。

みづゑは彼女と全く同じ時期から全く同じ病魔に侵されている。かゑでに見守られながら昼寝している。

緩和ケア

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最近文章を書くことと少し距離ができてしまったのは、ア然とする出来事が多過ぎるせい。体の中に色々と散らばっている楽しい考えや思いが、ピューっと腹の底の奥の奥に落ち隠れてしまうこと、ショックなことが日々が次々と訪れるためです。起こった現実は寝てしまえば夢の彼方に成仏できると思い、信じがたい出来事の後は甘いチョコレートを食べるか酒を飲んで寝ます。

私に友情というものを教えてくれた大切な大大大親友が延命ではなく緩和ケアを選択した。友達、友人でもなく恋人や家族とも違うかけがえのない存在の彼女。30年以上私を近くからも遠くからも支えてくれていたので、今は私が支える番だと思いきや、彼女がどんなに姿になろうとも、やっぱり私は彼女に支えられていると思うことばかり。

彼女との愉快な長年の日々と今のことを思うとギャップがありすぎて、歩いてても電車の中にいても涙が出てしまうので、いつもポケットにキャラメルを入れている。キャラメルを噛むと私は泣かずに済むのだ。キャラメルを食べ始めて3年以上が経ち、最近はちょっとしたキャラメル中毒。きっと虫歯ができていて若干歯が痛くなってきたがキャラメルを止めることはできない。

カンパニーは久々にオーディションを実施中。十代から四十代のダンサー達が全国各地から応募多数。踊りたい!という意欲ある人が日本にこんなにいる、そして場を欲している、という事実。皆それぞれに才能があり、技術も肉体も環境も恵まれていて、若さと体力があり輝いている。

日本でダンスをやっていくのは、食料と地図を持たずに冒険するようなもの。冒険の景色は未発達、発展途上の混沌。疲れるしリスクと隣り合わせで、苦労の連続。一体なんの得があるだろう、幸せとは何だろう、だからこそ踊らずにはいられないよね、が、踊る場もなかなかないとは。踊れるだけでは踊っていけないし、かといって色々できても踊っていけない。この状況の苦労を乗り越えるために緩和もキャラメルも役に立たないし涙も出ません。

今日は「マンイストマン」の初の通し稽古でした。今から「いきのね」の通し稽古へ。KAAT 神奈川芸術劇場から都内へ移動中。頭も体もなんて忙しいこと。今日も美しい冬空の朝だった。窓のない劇場や稽古場で一日中。